詳細資料_県民ボランティアバス運行
1日目 3月10日
東日本大震災から6年目を迎える宮城県にて、追悼行事のお手伝いや被災者の方との交流を図るため、公募で集まっていただいた兵庫県ボランティア等35名が2台のバスに分乗し、宮城県名取市へ向かいました。
2日目 3月11日
津波による大きな被害を被った名取市閖上地区にて語り部を行っておられる長沼さんより当時の様子や、現在の被災地の状況などをお聞きしました。
「土地のかさ上げ工事や復興住宅の建設が進み、かつて暮らしていたところが見知らぬ町のようになってしまった。」と語っておられました。
その後、2班に分かれ箱塚桜団地仮設住宅と愛島東部団地仮設住宅で活動を行いました。
箱塚桜団地仮設住宅では、ご希望のあったお宅や住宅敷地内の清掃と傾聴活動を行いました。寒さも忘れるくらいのチームワークで、玄関周りから周辺の排水溝まで隅々清掃しました。
一方、愛島東部団地仮設住宅では、午後からの追悼行事の準備を行いました。竹灯篭を一つずつ並べて、「WE ラブ(ハート) ユリアゲ 3.11」の文字を作りました。仮設住宅に住む子どもたちも一緒に手伝ってくれました。
3日目 3月12日
3日目の日も、2班に分かれて活動を行いました。
はじめに、仙台市宮城野区・旧中野小学校跡地で行われた合同慰霊祭(7回忌法要)の準備や式典に参列しました。多くの方がお亡くなりになられたこの学区に約400人の方が参列され、全員で黙とうを捧げました。
また、献花台に花を供え、参列者の皆さまと共に、復興の願いを込め、バルーン風船を飛ばしました。
風船には、一個ずつ皆さまの追悼メッセージを付けるまでのお手伝いもさせて頂きました。天国の方へ・・復興への決意・・これから頑張ろうという様々な思いを胸に風船は放たれました。ちなみに、バルーン風船は海に溶ける無害の水溶性風船で、約300㎞飛ぶそうです。
同時に、前日行った愛島東部団地仮設住宅での追悼行事の後片付けを行いました。
その後、二つの班が合流し、仙台市宮城野区旧中野小学校区にて復興に携わっておられる佐藤さんより、被災当時の状況やその後の地域住民や企業の取り組みについてお話をうかがい、兵庫県ボランティアの皆さんからの質問などに答えていただきました。
その後、仙台市中野5丁目にある津波避難タワーに移動し、お話を聞きました。津波から免れ、約300人がこの避難タワーに入ることができるそうです。災害時には、防災無線で通信ができ、発電機や、アルファ米等の食糧備蓄もあるそうです。加えて、非常時には高速道路にも上がり、避難できるようになっているとのこと。また今後は、地域同時の活動は勿論、小中学生を巻き込んだ防災コミュニティづくりに向けた訓練が一番大事とお聞きしました。
災害時には初めの15分は声を掛け合い、そしてそれぞれ避難場所へ移動するといった日頃の訓練、家族や地域との信頼関係がどれほど大切か改めて認識しました。
続いて、大津波の直撃を受けた蒲生干潟を案内していただき、津波被害を目の当たりにしました。十数分歩くと、日和山があります。全国に幾つか日和山があるそうですが、こちらの日和山は、標高3Mの日本一低い山として認定されているそうです。登頂記念に登頂証明書も頂きました。
その後、「せんだい3.11メモリアル交流館」に移動し、震災当時のお話を聞きながら、施設を見学しました。
交流館の受付には、竹灯篭を置いていただいていました。つながりが感じられ、あたたかな気持ちになりました。
4日目 3月13日
全ての活動を終え、無事に兵庫へ戻ってきました。
6年目を迎えた被災地の仮設住宅では、約半数の方が復興住宅等へ転居され、空室となった部屋も少なくありませんでした。
そんな中、奥様を介護されながら仮設住宅で暮らす男性より、「兵庫という遠い地から、継続してボランティア活動を行ってくださり、本当に感謝しています。全国の他人様に対する支援の気持ちを持っておられる皆様だと実感しています。お体を大切にされ、これからもボランティア活動、頑張って下さい」と、温かいお礼状を頂戴いたしました。
ありがとうございました。